ホテル・ルワンダを観た。


以前にもこの日記 で書いたことがあるが、


他人事ではない心地で迎えた滅多に無く待ちに待った映画である。


実際に起きた悲しい事実をテーマにしたこの映画を観終わって、


色々感じた事を考え噛み砕き、独り悶々自問自答していた。


劇中、ジャーナリストが主人公に言う。


「ニュースで流したところで人々は「怖いね」といってディナーを続けるだけだ」


奇しくもその日は北朝鮮がミサイルを撃ち放った日。


そんなことがあろうが

テレビを見る僕らの目線はあくまで他人事だった。


まるでリアリティーがない。


この映画を観ても、

嗚呼アフリカのどっかでなんか起こってるらしい。

日本に生まれてよかったよかっただろうか。


この映画の事例で見られる様な差別意識や民族闘争などに始まる

悲しい事実は今も世界中で起きており、

ルワンダだけでなく、コソボ・イラク・アフガニスタン・東ティモール。

数えてもきりが無い。

そして

それら「内紛」「民族紛争」「テロ」などと称され報復を繰り返し合う関係には

往々にして大国や経済界の利権・資源を巡るきな臭い話が存在している。


実は関係なさそうで

それらを支えているのは僕ら納税者・消費者だったりする。


また、残念ながら日本でも差別に始まる迫害は今もあり、

根深くシクコク渾然と残っている。


僕は以前叔父と叔父の夫婦間に未だ残るという階級意識を話し合った事がある。


叔父は


「自分は農民、彼女はあくまで武家の出だ。分かりあえん」


と当たり前に言う。


人は他人との違いを造る事で自分を肯定し壁を造る。


映画やニュースを観て、

悲しい嬉しい楽しいと感情移入して喜怒哀楽に更けたところで正直意味は無い。

それに自己満足する自分を確認するだけだろう。

上っ面ではなく

何事も自分の話として捕らえ、その事実を元に自分に何が出来るのか??

に思い巡らし、自分なりの行動が求められると思う。

政治や社会を変えるためには、

誰かに代弁してもらって自分の思いを昇華してしまってはだめだ。

自分が何を選択するか、行動するかこそが重要。
小林一朗・日本持続可能社会新聞より

そう、僕らは何も出来ない無力な存在なんかではない。

この映画が日本で公開された経緯を思い返すまでも無く

僕らには無限の可能性がある筈なんだ。

だから自分自身の足場を積み重ねてそれを拡げて活きたいと願う。


そんな風に右往左往して

支離滅裂様々頭を巡らせた水曜定休ヤーマンズ事情。